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健保ニュース 2022年3月下旬号

佐野副会長が自民党会合で見解
保険証機能 マイナンバーカードに一本化
参加施設の低調、運営コストなど課題

自民党のデジタル社会推進本部(平井卓也本部長)は3日、マイナンバーカードの現状について、厚生労働省など関係省庁と保険者を代表して健保連へのヒアリングを実施した。健保連から佐野雅宏副会長が出席し、マイナンバーカードの保険証利用に賛同したうえで、オンライン資格確認に対応している医療機関・薬局の数が全体の1割強とわずかであることや、こうしたなかで保険者が運営コストを100%負担している現状などを課題にあげた。従前からの保険証とマイナンバーカードが医療機関等で現在は併用されているが、最終的にはマイナンバーカードに保険証機能を一本化すべきとの考えを示した。

マイナンバーカードの保険証利用を可能とするオンライン資格確認は、昨年10月20日から本格運用が開始された。

マイナンバーカードを用いて本人確認をする顔認証付きカードリーダーを設置した医療機関・薬局の窓口では、資格履歴を一元的に管理する社会保険診療報酬支払基金・国保中央会にオンラインで資格照会し、患者の直近の資格情報を確認できる。また、マイナンバーカードを持っている患者の同意を得て、薬剤情報や特定健診情報等を閲覧できるようになり、より正確な情報にもとづく適切な医療の提供が期待されている。

保険者にとってのメリットは、資格喪失後の被保険者証の使用や被保険者番号の誤記による過誤請求の事務処理負担(資格喪失や異動後の資格情報の照会、医療保険者間調整、本人への請求等の事務作業等)が減少する。

政府の目標は、令和5年3月末までに概ね全医療機関等でのオンライン資格確認の導入、またほとんどの住民がマイナンバーカードを保有している状態をめざしている。

オンライン資格確認の実効性を高めるためには、参加医療機関等の全国的な普及が必須となるが、2月20日時点で、顔認証付きカードリーダーを申し込んだ医療機関等は施設全体の57%(約13万施設)、院内システムを改修するなどして資格確認ができる状況になっている医療機関等は同18.0%(約4.1万施設)、実際に運用を開始したのは同12.3%(約2.8万施設)と1割強にとどまる。

マイナンバーカードの保険証利用の登録件数は、約740万件でカード交付枚数の13.8%となっている。

3日の自民党デジタル社会推進本部に出席した佐野副会長は、マイナンバーカードの保険証利用についての基本的考え方、方向性に「大賛成である」とのスタンスを示し、健保組合では基盤システムに対するデータの登録と正確性の確保や、広報に積極的に取り組んでいる状況を説明した。

そのうえで、オンライン資格確認の導入推進にあたって3点の課題に言及した。
 ひとつは、「基盤整備に時間がかかりすぎている」ことをあげた。今年度末までにオンライン資格確認を導入する医療機関等を概ね100%とする目標だが、現状でようやく10%程度の導入であり、全国的な広がりにスピード感が欠けることを危惧した。このため、健保組合の加入者からは、マイナンバーカードが使えるところが「ほとんどない」「わからない」といった声があがっていると指摘した。

2点目は、「運用開始後のコスト負担」のあり方について、本格運用がスタートしても、稼働率が一定割合に達するまでは基盤整備期間と位置づけて公費を投入するよう求めた。

現状は稼働率に関係なく受益者(保険者)が100%負担していると問題視し、導入している医療機関等の数が少なく、メリットが希薄な中でコストを負担している状況に憤りを示した。

3点目は、「国民に対するメリットの周知・拡充」について、カードを使うことのメリットを訴求する必要性を指摘し、具体的な検討事項として、医療機関ごとに発行されている診察券を不要とすることなどをあげた。

従来の保険証とマイナンバーカードとの併用が続くが、「併用では、保険者として管理上の負担が生じる」と述べたうえで、期限を設けてマイナンバーカードへ一本化すべきと主張した。合わせて、一本化に向けた体制整備の義務化なども検討する必要性を指摘した。

会合に出席した議員からは、「期限を区切ってマイナンバーカードへ一本化する必要がある」などと健保連の考え方に賛同する意見が出た。

同本部の甘利明最高顧問は、併用に終了期限を設けてマイナンバーカードに保険証機能を統一する必要性を指摘した。

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