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健保ニュース 2019年12月上旬号

全世代型社会保障検討会議
高齢者の2割負担導入が大勢
年内の中間報告へ与党調整が本格化

政府の全世代型社会保障検討会議(議長・安倍晋三首相)は11月26日、首相官邸で第4回会合を開き、年内の中間報告に向けた具体論について議論した。制度の持続安定性を確保する観点から、多くの民間議員が後期高齢者医療の2割負担導入を支持した。

安倍首相は、今回の全世代型社会保障改革について、「年金・医療・介護だけではなく、働き方を含めた改革をパッケージとしてやっていくものである」と述べ、中間報告の取りまとめに向け、西村康稔全世代型社会保障改革担当相や加藤勝信厚生労働相など関係閣僚に対し、具体的な検討や与党との調整を進めるよう指示した。

同検討会議の事務局を務める内閣官房全世代型社会保障検討室は、この日の会合に、これまでの議論や関係団体、有識者などのヒアリングを踏まえ、▽医療▽予防・介護▽年金▽労働─を柱とする「主な論点」を提示した。 医療分野は、「大きなリスクをしっかり支えられる公的保険高齢者の2割負担導入が大勢全世代型社会保障検討会議年内の中間報告へ与党調整が本格化制度のあり方」と「医療提供体制の改革」の2つを論点とし、具体的な検討課題として、後期高齢者の自己負担割合、外来受診時の定額負担、市販品類似薬の保険上の取り扱いをあげた。 予防・介護分野は、保険者インセンティブの強化、データ利活用、健康経営等を通じた健康寿命の延伸のあり方とともに、介護従事者の確保のあり方などを論点とした。 年金分野は厚生年金の適用範囲や受給開始時期の弾力化、労働分野は70歳までの就業機会確保についての法制のあり方などをあげた。

この日の議論では、民間議員から、全世代型社会保障改革全体について、「全世代型社会保障の理念を示すことが必要」「国民生活に安心を与えるためにも、中間報告では年金、働き方、医療などを一体パッケージで改革の方向性を決定し、社会保障改革の全体像を示すべき」「国民に選択肢を示し、国民生活にどのような影響が生じるのか、データにもとづいた議論を行って関係者を納得させるプロセスを踏むことが重要だ」などの意見が出された。

高齢者の自己負担割合については、「年齢ではなく応能負担とし、低所得者に配慮しつつ、75歳以上の2割負担を実現するべきではないか。長年の議論に決着をつけるべきである。後期高齢者の急増を前に先送りできない」「世代間の負担の平準化が必要だ。現役世代の負担増を考えると、75歳以上を少なくとも2割負担とする改革を速やかに実現するべき」「見直しが必要であるが、一律に2割負担ではなく、高齢者の生活への影響などを丁寧に検証しながら対応策を検討するべき」など、原則2割負担の導入を求める意見が相次いだ。

また、受診時定額負担については、「高齢者に偏っている給付を見直し、現役世代の負担を和らげていくことが必要。論点としてあがっているすべての項目を実現するべき」「2割負担と受診時定額負担が議論されているが、今後の社会保障費の増加の規模、スピードを考えると、どちらかを選択するのではなく、どちらも選択する必要がある」との前向きな意見が出た。さらに、「定率負担との関係や定額負担の意味づけを整理し、受診抑制に繋がらないよう配慮が必要」と導入を前提とした進め方にも言及があった。

加藤厚労相は、民間議員の意見を受け、「国民生活に直結する課題であり、〝あるべき医療〟とはどういうものなのかという議論をベースに、給付と負担のあり方を考えていきたい」と述べ、関係審議会でこれから具体的な検討を進めるにあたり、「高齢者をはじめ国民生活に影響を与える課題であるので、様々な角度からデータにもとづいて国民生活への影響を丁寧に見極めながら進めていく」との考えを示した。

麻生太郎副総理兼財務相は、「アベノミクスの影響で景気情勢や雇用が好転しているなかだからこそ、働き方改革や高齢者の雇用促進が可能となる。この時期だからこそ、全体の改革をパッケージとして進め、そのなかで給付と負担の見直しも行っていかなければならない」と強調し、給付と負担の見直しについては、「後期高齢者の窓口負担や受診時定額負担など、これまで検討課題とされてきた事項について、この機をとらえて先送りせず、結論を出すべきではないか。団塊の世代が後期高齢者に到達する2022年までに、残された時間はない。機は熟した。中間報告でまとめてほしい」と述べた。

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